闇鍋的電脳空間
【2018-09-21 13:47 pm 目黒某所】

住宅街の細い道を縫うようにして、一台のスポーツカーがゆったりと走行していく。
閑静な風景に似合わぬその車は、深夜の高速道路ではなく、速度制限のかかった狭い一方通行の道路をのろのろと進む。
ただでさえ狭い道だが、目的地に近付くにつれ、徐々に人通りも多くなっていく。目黒駅が近いのだ。
JR、都営地下鉄、私鉄と複数路線が乗り入れる目黒駅だが、
いかついスポーツカーを真顔で運転する彼女にとっては、不便この上なかった。

原因は、助手席でむっつりと黙り込んでいる男だ。

9月も後半に差し掛かったとはいえ、残暑と呼ぶにはまだまだ強烈すぎる暑さの中、
彼は白いロングスリーブのコットンシャツを身に纏っていた。
量販店で購入した、広告価格500円のシャツと、1990円のパンツ。
上下合わせて2500円足らずのくせに、妙に洗練された雰囲気をまとっているのが少しばかり腹立たしい。

スポーツカーの後部座席には、一昨日発売になったばかりの男性向けファッション誌が無造作に放られていた。
その表紙は、早くも秋冬ものの衣装を身に纏った、この雑誌の専属モデルが飾っている。
しなやかだが、決して華奢すぎない体型が、ストリート系ブランドの新作によく馴染んでいる。
Yuna(ユナ)という名のこのモデルが、化粧品の広告モデルに起用されたのが、今年の初夏のこと。
人気ブランドの新作ということで、都市圏を中心に、大量の大型ポスターが展開された結果、
今や彼は、ちょっとした『時の人』となっていた。

フロントガラスから差し込む陽射しが眩しいのか、黒のキャップを目深にかぶっていた彼が、
おもむろに口を開いた。
「今日のスタジオって、駅前の例のとこですよね?」
横断歩道でブレーキを踏み、歩行者が行き過ぎるのを待ちながら、彼女はちらりと隣に視線を流す。
都心の自宅を出てからこっち、一言も発しなかったせいで、てっきり居眠りでもしているのかと思っていた。
いつの間にか、彼の左手が、膝の上にのせたスマホの画面を高速でスクロールしている。
「そうだけど、どうかした?」
踏み込んでいたブレーキを開放し、再びゆっくりとアクセルを踏む。
「うん・・・なんか、騒がしいみたい」
勢いよくスワイプしたせいでまだ動き続けている画面を放って、彼はかぶっていたキャップを無造作に脱いだ。
眩しそうに目を細めると、帽子の下でぺしゃんこになっていた黒髪をもさもさとかき混ぜる。
助手席側のサンバイザーを開いて、裏側の鏡を覗き込みながら、やわらかな黒髪に手櫛を通していく―――無造作ヘアーのYUNAの出来上がりだ。

ウィンカーを出して、スタジオ裏手のパーキングに車を滑り込ませる。
エンジン音が止まっても、近くを走る電車の走行音はそれなりに騒がしい。
ユナはちょっとドアを開けると、静かにまた閉めた。
振り向いた目が、『暑い』と訴えている。だが、甘やかすつもりはない。
「スタジオの中は涼しいから。さっさと行く!」
ぺし、と背中をはたかれて、しぶしぶユナは車を降りた。

隣のビルの外側を回り込むようにして、スタジオのエントランスへ向かう。
曲がり角にさしかかったところで、朋子は異変に気付いた。

騒がしいみたい。

ユナの呟きが脳裏をよぎる。
涼を求めて足早に角を曲がる彼の背中を慌てて追ったが、間に合わなかった。
「―――!?」
突然現れた人の波に、朋子はなすすべもなく弾き飛ばされてしまう。
勢いよく瞬く白い光は、報道用カメラのフラッシュライトだ。
複数台のカメラとICレコーダーに囲まれて、さすがのユナも足を止める。
「Yunaさん!『映画初出演について』、コメントをお願いします!」
「「―――え?」」
ユナと朋子の声がハモった。
どういうことかと説明を求めるようなユナの視線に、朋子は全力でかぶりを振る。そんな話は聞いていない。
「あの!!私、Yunaのマネージャーですけど!!そんなオファーは―――・・・」
きていない、という言葉は、喉まで出てきたところで、詰まってしまった。

報道陣の背後で、スタジオ入り口の自動ドアが静かに開く。
ぽん、と、白い日傘が開くのが見えて。
傘の向こうで、ひとりの少女が―――否、少女と見まごうような無邪気さを湛えた女性が、にこりと微笑んだ。

ぐいぐいと人波に押されるようにして、ユナが彼女の隣へ押し出されていく。
珍しく狼狽えるその姿に、朋子は少しだけ―――ほんの少しだけ、胸がざわつくのを自覚する。
「穂高真城さんの主演作品で俳優デビューされることについて、どのようなお気持ちですか!?」
インタビュアーが発したその言葉で、朋子はすべてを理解した。

穂高真城。出演作がすべからくヒットする、売れっ子女優。
日傘の女性の正体である。
彼女は役者としての才能もさることながら、
ことメディアの扱いに関しては、おそらく業界で最も長けたタレントの一人なのだ。

突如目の前に現れた大女優は、おっとりとした微笑みを浮かべたまま、ふわふわのスカートのすそをつまんで、ちいさく会釈した。
今日の彼女は、深窓の御令嬢キャラをキメているようだ。
どちらかというと小柄な彼女と、曲がりなりにもファッションモデルであるユナとでは、それなりに身長差がある。
高級ブランドのドレスに身を包んだ穂高真城と2500円の美青年ユナが並ぶ姿は、どこかロミオとジュリエットを彷彿とさせた。
動揺している彼からまともな言葉は引き出せないと判断したのか、
穂高真城は、パステルピンクの靴のかかとを一歩後ろへ引いた。
それによって、傘の陰に隠れていたもう一人の女性が、その姿を現す。

穂高真城ほどの存在感は無いが、彼女もまた、著名なタレントだった。
風に揺れる、やわらかな黒髪ボブ。快活そうな、大きな瞳。
ユナが専属契約を交わす雑誌と同じ出版社から発行されている、女の子向けファッション誌の元専属モデル。

大女優と同じ大手事務所に所属する彼女は、緊張した面持ちで両手を胸元に抱き込むと、
少しだけ背伸びをして、ユナの顔をまっすぐに見つめた。
意志の強そうな、よく通る声が、うだるような残暑の空気を震わせる。
「―――はじめまして!戸川愛理です。ご一緒できて、光栄ですっ」
彼女の勢いに気圧されたのか、ユナはほんの少しだけ、身を引いた。
救いを求めるようにこちらを見てくるユナに、朋子は半ばやけっぱちになって「好きにして」というジェスチャーをしてみせる。
「えぇ・・・」とまだ戸惑っている彼に向けて、人差し指と親指でマルをつくって見せた。映画の仕事は金になるぞ。
とたんにユナは、きりっとお仕事モードになった。お金をかせぐぞ。

ふ、とちいさく息をついて、彼はやわらかな微笑を口元に浮かべた。
わずかに腰を折って、戸川愛理と目線の高さを合わせる。
落ち着いた印象を与える澄んだテノールで、ユナはささやく。
「こちらこそ。映像のお仕事は初めてなので、ご迷惑おかけすることも多々あるかと思いますが・・・ご指導のほど、よろしくお願いします」
穂高真城が満足げに傘を差しなおす。
フラッシュの光が視界を灼く―――

日傘でできた死角から、悪戯っぽい笑みを浮かべた穂高真城が、ちいさく手を振ってくる。
彼女がまだ一般人だった頃から知っている相楽朋子は、うんざりと額を押さえた。

我儘なかつての美少女も、ここまで手が込んだらもう、ただの策士だな。
<<back
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送